写真という趣味

画像 いま、カウンセリングを受けている。
 前回の休職では、悪くなった体調を元に戻すことだけをおこなった。しかし体調が悪くなる原因については手当をしなかったので、仕事に復帰してしばらくしたら、また体調が悪くなってしまった。今回の2回目の休職では、体調が悪くなる原因を取り除く、あるいは完全に取り除くのは無理としても、緩和することを目標として、カウンセリングを受けているのだ。
 受けたカウンセリングはまだ2回だが、いろいろ話をしていく中で、なるほどと思うことが沢山あった。以前にも聞いたことや、考えてみれば当たり前のことも多いが、普段の生活の中では忘れていることも多いのだ。
 例えば、イメージトレーニング。トレーニングと聞くと、スポーツに関係することのように感じてしまうが、生活の中で気持ちが落ち込んだ時、あるいはやる気が出ない時に、楽しかった時のことを思い出したり、楽しんでいる自分を想像することで、気持ちが上向きになるという。思ったり考えたりというのは、その人次第で自由にできるもの。良いイメージを繰り返し心に取り入れることで、自然と心も良い方向に向かうらしい。
 以前の楽しかったことを思い出すと言っても、それは思い出の中に生きるということではなく、心に活力を取り戻し、前に向かうための力を得るということ。
 何かを思い出す時に記憶をたどっても良いが、それに関する情報があると、思い出す助けになる。例えば写真。
 今までに撮った写真が沢山ある。ツーリングに行った時の写真、地元観光をした時の写真、思いがけず美しい光景に出会った時の写真、それらを見返してみると、その時の楽しさや嬉しさが心にわき起こってくる。イメージトレーニングに一役買っている訳だ。
 心の中に刻み込んでおくものだというのも一理あるが、忘れてしまうことも多いし、心の中だけの思い出というのは寂しいもの。そうやって、以前の写真を見返したりしていると、写真を撮っていて良かったって思う。

 初めて自分で写真を撮ったのは小学生の頃。父も写真を趣味にしていて、カメラを何台か持っていた。そのうちの一台を貸してくれたのだ。もちろんフイルムの時代だ。今のフィルムの主流は(といっても、フィルム自体が主流ではなくなっているが)24枚撮りだが、当時は20枚撮りだった。借りたのがハーフサイズのカメラだったので、20枚撮りフィルムで40枚の写真が撮れた。カラーは高いのでお小遣いで白黒フィルムを買い、今にして思えば意図がよく分からない写真を撮っては、プリントして楽しんでいた。
 フィルム時代は、シャッターを押す=お金がかかるだったので、そんなに沢山の写真は撮れなかった。高校生ぐらいまでは結構写真を撮っていたが、大学生になってからほとんど写真を撮らなくなった。思い出とかをあまり大事に思わない頃だったかもしれないし、お金の問題もあり、写真を撮らなかったのだろう。その頃の写真を残しておけばと、今頃後悔している。今さら戻って撮れないので、心の中の思い出だけで我慢するしかない。
 デジタルになってから、写真を撮ることが多くなった。撮って、PCに保存し、必要に応じてプリントする。プリント以外はシャッターを切ってもお金がかからないので、懐にも優しい。たくさん写真を撮り、たくさん思い出を残すことができるようになった。便利な世の中だ。

 写真は、思い出を共有するのにもいいと思う。昔の写真を見て、みんなと思い出話に花を咲かせることもできる。実家に帰った時、私の子供の頃の写真アルバムを親と見て、いろいろ思い出話をしながら、写真を肴に酒を飲むこともたまにあるのだ。
 写真はいいものなのだ。あまりのめり込まなければ。趣味が高じて高価な機材に凝ってしまい、お金を浪費するのもあれだが、でもまあ、趣味にかけるお金はけちってはいけないとも言うし、そういう生き方もありかもしれないな。

 写真以外ではビデオっていうのもあるが、私はビデオよりも写真派だ。ビデオのほうが情報量が多くて良い場合もあるが、逆に冗長な気もする。一瞬を切り取った写真のほうが、その一点の情報からイメージをふくらませ、より楽しむことができると思うのだ。とはいえ、何事も使い分けが大切。最近新しく買ったコンパクトデジカメは、720pのHDビデオが撮れるので、これを使って何かビデオを撮りたいと思うのだが、私にはビデオに撮るような被写体が無いのだな。

 ちなみに上の写真で、私が左目でファインダーをのぞいているが、これが正統派ではないのは重々承知している。私は右目の視野が狭くて、右目だと見辛いのだ。まあ、その人に適したやり方でって事で。