楽しかったこと、思い出せますか?

画像 人にはそれぞれ想い出というものがある。楽しい想い出。嫌な思い出。
 人が何をどう感じて、どう憶えているのか、正直自分のことしか分からない。人それぞれだよという言葉もあるし、みんな同じだよという言葉もある。どちらも正しいようにも思うし、どちらも違うようにも思う。
 以前から人に聞きたかったことがある。「楽しかったこと、思い出せますか?」
 いや、これは私の聞きたいことを正確に表していないな。正確には、以下のような質問だ。
 「楽しかった時のことを思い出した時、『あの時は楽しかったなあ』というような感情が湧いてきますか?」

 楽しかった時の記憶は、私にもある。あんな事、こんな事。忘れていないし、ちゃんと思い出せる。でもそれを思い出した時に、『楽しかったなあ』というような感情は湧いてこない。何の感情も湧いてこない。想い出と言うより、感情を伴わない単なる記憶。そういう形で憶えている。
 嫌な思い出も、私にもある。私にとっての嫌な思い出というのは、自分の失敗であるとか、自分のおかしな言動であるとか、自分の間違いであるとか、そういった類のもの。それを思い出した時には、楽しかった(はず)の記憶の場合と違い、『失敗したなあ』とか『自分は駄目だったなあ』とか、そういう感情が強く湧いてくる。そして落ち込む。
 誰かが自分に対して嫌なことをしたというのも、嫌な思い出の範疇かもしれないが、そういうのは私はすぐに忘れてしまう。たとえ思い出したとしても、その場合はなんの感情も湧いてこない。
 自分の失敗とか、そういう嫌な思い出は感情を伴って思い出してしまうけど、楽しかった(はず)の記憶は、思い出してもなんの感情も湧いてこない。
 みんなそうなんだろうか。それを知りたいのが、先の質問なのだ。

 記憶は想い出とは違い、単なる記憶である。みんな私と同じように、嫌な思い出だけを積み重ねて生きているのだろうか。それとも、ちゃんと楽しいことも、感情を伴う想い出として積み重ねているのだろうか。
 想い出になれない楽しかった(はず)の記憶は、記憶でしかないので、案外忘れやすいものだ。ともすれば、それが本当に楽しかったのかどうかも、あやふやになってしまう事がある。
 『行動しなければ何も残らないが、行動すれば何かが残る』という言葉がある。でも、行動した結果として残るものが、嫌な思い出だけだとあらかじめ分かっていたら。たとえそれでも行動することを選んだとしても、やっぱり今一つ身が入らない。

 みんなはどうなんだろう。楽しかったこともちゃんと想い出にして、それを力にして生きているのだろうか。それとも私と同じように、嫌な思い出だけを積み重ねているけれど、それに打ち勝って生きているのだろうか。
 まあ、他の人と自分を比べてもしょうがないのだけど、どうなんだろうと気になるのだ。

 ちなみに、私は何かを行う時に、よく写真を撮る。楽しかった(はず)のことを、少しでも忘れないようにするために。思い出すためのきっかけとするために。そのために写真で残しておく。これは自分なりの、一つの工夫である。